右手首骨折(橈骨遠位端骨折)と現在に至る日常生活4

【右手首を骨折してから現在に至る日常生活 第4弾】

5ヶ月以上経った現在も、鮮明に思い浮かぶことができる、2021年12月26日の日曜日に右手首を骨折してからの経緯、第4弾は、右手首の手術後の年末年始の生活のことです。

第1弾(右手首を骨折した経緯と救急外来へ掛かる)はこちら
第2弾(改めて整形外科を受診・診察結果)はこちら
第3弾(初めての大手術)はこちら

世は年末。世間も慌ただしくなって来たのと同時に、私も慌ただしく骨折した右手首を手術して1日入院。そして退院して我が家に帰る。

手術した右手は腫れが出るので、まだギプスで固定することはできない、とのこと。
右手をどこかにぶつけたりはしないだろうか等、不安だらけで過ごした年末年始の生活は?

2021年12月29日 退院

12月28日の手術後の夜は結局、少しウトウトしただけで、朝を迎えました。
時計を見たら5時。トイレに行き、朝食の時間までベッドの上で何もすることもなく横たわって時間をやり過ごす。むちゃくちゃ退屈でした。

何時ごろだったかは忘れましたが、朝食前の検温、血圧の測定を受ける。
消灯前に検温した時は38℃あった熱が平熱になっていて一安心。

手術後の痛みは少しはあるものの、我慢できない程の痛みでない。
看護師さん曰く、「夜中に痛み止めの薬をください、と言って来るかと思っていたけど言って来なかったので……。痛みは大丈夫?」と心配してくれました。
担当医の先生も退院前に病室まで様子を見に来てくださり、痛み止めの薬を求められなかったことに驚いていました。

7時ごろ右手が不自由なまま、左手で何とか朝食を食べ終える。
その後、痛み止めの薬と自宅から持って来て看護師さんに預けていた既往症の薬を飲む。

8時頃、服を着替え、荷物をまとめる等、退院の準備を始める。
9時頃、理学療法士(リハビリ)の方が来て、「手術した右手で、重い物を持ってはいけません。また、突いてもいけません。それから車の運転は先生の許可が下りるまで絶対に禁止です。」との説明を受ける。
その後、少ししてから先の担当医の先生が来て、「感染症にならないために、包帯は絶対に濡らさないでください。」と、これだけ強く言われました。

妻は仕事のため、退院には長女が迎えに来てくれることになっており、10時頃迎えに来てくれました。
利き腕である右手が使えないため、代理で書類に記入して退院手続きをしてくれました。

その後、長女と一緒に看護師さんから退院後の生活の注意事項の説明と、お風呂に入る際にビニール袋を被せて右腕を濡らさない様にするレクチャーを受けました。

その後、晴れて帰宅。
1日だけの入院だったが、やっぱり、我が家が良い。

2021年12月30日~31日

年末で色々とやることはあるのだが、妻と娘達からも“暫くは安静にした方が良い”、ということで言葉に甘えて、退院した日からは家事手伝い等をほとんどしないで、安静的に過ごさせて頂きました。
妻と娘達に感謝。

でも、何もできないもどかしさと、妻と娘達に申し訳なさを感じる。

例えば、毎年12月30日の日は、年末年始の買い出しをするのが恒例なのだが、この年は妻が午前中は仕事のため、31日の日に変更。
朝早く起き、私は車の運転ができないため、妻の運転で個人でも買い物ができる市場へ行くのを始め、何軒かの店を回ったのだが、ずーっと、運転は妻任せで申し訳なかったです。

しかも昼頃に帰宅してからは新しい年を迎えるための準備。
娘達にも犬の散歩や洗濯、風呂掃除なども手伝ってもらい、大変申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

2022年1月元旦

新しい年を迎えた元旦の日の朝は家族みんなゆっくりできたが、それでも食事の準備や風呂掃除などの家事は、結局は誰かがしなければならない。

妻と娘達から“安静にしていていいよ”と言われていても、今まで家事手伝いを習慣として来ていたせいか、テレビを観ていたりしていても、じっとしていることが苦痛に感じる。

なので、なるべく身体を動かすべく、料理や取り皿、箸を運ぶなど、無理なくできる範囲の事をする。

退院した日と比べると、右腕の感覚はかなり戻り、手術後の縫合したところに痛みは少し感じるものの、痛み止めの薬を飲んでいるせいか、ひどくはない。

ただ、やはり右手が思う様に動かせず、延いては体全体の動きも制限されて、さっさと思う様に動けず窮屈な感じが、折角の年末年始は気分的に苦痛でした。
自業自得なので仕方なし。

2022年1月2日~3日 高崎市まで息子のお迎え

この日は、箱根駅伝などを観ながら夕方までゆったりと過ごし、夜には群馬県高崎市まで息子を迎えに行く。

高崎市にある大学へ行っている息子は、昨秋から居酒屋のアルバイトを始め、この年末年始は繁忙期ということもあり、12月28日から1月2日までアルバイトのローテーションに組み込まれ、帰省できず。

この予定は昨年の12月初めには分かっていたので、私が右手首を骨折していなければ、私が一人で迎えに行く予定でした。

ところが私が右手首を骨折してしまったため、骨折した時に息子に、「車で迎えに行くのは厳しくなったから、電車代は出すから1月3日に電車で帰っておいで」と伝えたところ、電車で帰って来るのが面倒なのか、ごねて「もう帰らない」と言う始末。
大学生になってもまだ子供っぽい。(笑)

仕方なく宥めて、妻の運転で二人で迎えに行く次第となったのです。
ところが、妻は高速道路の運転が苦手。しかも帰りは夜中から朝方になるため、更に夜が苦手(眠たくなる傾向があり)で、近視の妻にとっては暗い中、往復運転するのは酷。

ということで、心配になった娘二人も付いて来てくれることに。
つまり、一家総出で息子を迎えに行くことになりました。(笑)

アルバイトは夜中の12時に終わる予定、とのことで、自宅から高崎市まで4時間半から5時間ほど掛かるため、逆算して19時に出発。

また、自宅から高崎市へ行くルートは色々とあるのだが、時間と高速料金の節約を優先するルートは、ある高速道路(自動車道)を1時間程走って、途中あるICで降りて、一般道と言っても山道(2つの峠あり)を1時間半程走り、また別の高速道路を走る、というルート。

行きの一つ目の高速道路(自動車道)は長女が運転。
運転歴は4年程だが、遠距離恋愛で高速道路は結構走っているので慣れたもの。
娘達のお気に入りの音楽をかけて、順調に走る。

途中、降りるICの手前のSAで妻と交代。ICを降りて一般道(山道)を走る。
街灯が少なくて暗いので妻は恐る恐る走る。
しかし、1月2日の夜ということもあって、他に走っている車が少なくて良かった。

この道路は山道で峠が2つあり、カーブとアップダウンが多いのですが、経費と時間の節約になるのか、結構トラックも走っていて、普段は一般車も含めて走っている車の量が多いです。

そして2つ目の高速道路に乗る。ところが関東圏の高速道路ということもあり、車の量が多く、しかもかなりのスピードで追い越していく。
それにビビった妻は、もう限界。途中のSAで再び長女に運転を替わり、結局それから高崎市の息子のアパートまで運転してくれました。
1月2日の夜ということもあってか、全体的に車の量が少なくて、4時間ちょっとで着くことができました。

しかも、息子もバイト先の居酒屋の客が少なかったのか、23時にはアパートへ帰って来ていました。
部屋に上がり込んで、少し休憩。私は全く運転していないが、長女と妻の運転に神経を使って疲れたのか、眠たくなってしまい、長女と妻に申し訳なく思いつつ、少し仮眠。

息子の帰り支度も終わり、日付も変わって1月3日の0時半頃、自宅へ帰るべく出発。
帰りも最初は長女の運転。往路とは逆の高速道路を降りて一般道の最初のコンビニで買い物をしつつ、妻と運転を交代。

しかし、何とこの辺りから雪が降り始め、暫く進むと道路にうっすらと積もり始めたではないか。
一応、スタッドレスタイヤを履き、車は4WDなのだが、滑る時は滑る。
妻もそれは分かっているので、あまりスピードが出せず、ゆっくりと走る。

このまま峠まで同じ状態だと、ヤバイ、と思いつつ進んだのだが、峠の辺りは雪がちらほら降っている程度で、道路に積もる程ではなくて助かりました。

一般道から再び乗る高速道路(自動車道)のICの手前で再び長女と運転を交代。
そのまま自宅まで帰って来ました。自宅に着いたのは5時頃。冬なのでまだ暗い。
途中で雪に降られたが、予定通りに帰って来ることができました。

家に入り皆、速攻で布団にもぐり込み、寝ました。
3時間程寝て、箱根駅伝の復路を観戦。

たかが、息子を迎えに行くのに、こんなに大ごとになるとは……。
運転していないけど、とても疲れました。

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