私のIT遍歴
私が高校を卒業した当時、まだパソコンはもちろん携帯電話、スマホなどはこの世に出ていなく、 当然「IT」なんて言葉もない時代に当時は高額なオフィスコンピュータ(オフコン)が主流でコンピュータ業界はこれから伸びると言われていて、花形的な業界でした。
そんな時代に私もコンピュータを駆使して活躍する夢を持ってその世界に飛び込むべく都会に出てコンピュータ関係の専門学校に入学しました。2年間専門学校に通い卒業して、大型汎用コンピュータで受託計算を行う会社に就職し、プログラマーとしてCOBOL言語でプログラム開発を行っていました。当時のデータの扱い方法は今では考えられない「磁気テープ」でした。
入社して2年経過した頃、家庭の事情で実家に戻り、地元の当時では珍しいソフトウェア会社(今で言うベンダー)に転職しました。この地元の会社に就職した時もまだパソコンは出ておらず、高額なオフィスコンピュータで前職と同じくCOBOL言語でプログラマーをしていました。
その後8年から10年ほどしてから、当初高額だったパソコンも安くなり世の中に普及し始めました。パソコンが普及し始めてからは、プログラム開発言語もVisualBasic、VisualStudioと順に変わり、同時にデータベースも併せて勉強しながら、楽しくやりがいを持ってプログラム開発を行っていました。
地獄への入り口
しかし、15年間ほどプログラマーをした後、システムエンジニアの人員不足のためシステムエンジニアに転向させられました。
プログラム開発が面白かったのであまり気も進まず、これが地獄の始まりだと思いもせずに……。
システムエンジニアをやり始めた当初は、大変でしたが自分の組んだシステムが作動しカスタマーに利用していただくことにやりがいを見出していたのは確かです。
しかし段々とカスタマーの要望するシステムも複雑になり、打ち合わせ、システム設計、プロジェクト管理、テスト、納入、メンテナンスなどをほぼ一人で行わなければならず、納期を間に合わせるために必然と深夜に及ぶ残業、土日、祝日の出勤も当たり前となりました。
今でこそ所定時間を超える残業はご法度となって来ていますが、当時はそんな事はお構いなしでした。しかも残業手当も出ないいわゆるサービス残業でまた、会社側は「土日、祝日の出勤分は代休で」、と言うものの忙し過ぎて代休など取れるはずもなく、36協定を結んでいるかも分からないブラック企業と化してきました。
長年共にして来た上司も態度などが段々と殺伐として来て、パワハラまがいなことにも遭いました。
うつの前兆と発症
2015年頃から長女の引きこもりや母の介護など家庭の事情もあり、仕事のことと相まって不眠、食欲不振などうつ病の傾向が出始めました。
従妹が亡くなったのに葬式も出られないことなどもあり、長年居た会社に対する気持ちも荒んできました。
それでも家庭のことは妻に任せっきりで、家庭のことを犠牲にして何とか働いていました。
ところが、2017年10月頃より新しいプロジェクトで仕事がまた更に大変忙しくなり、当然の如くまた深夜に及ぶ残業、土日、祝日も出勤が続き、ついには、プロジェクトの納期限に間に合わせないといけないプレッシャーとストレス過多で、ついにうつ病を発症しました。
休職そして退職
プロジェクトの稼働は、2018年4月からでしたが、うつ病(不眠症がひどく、ほぼ寝ていない状態)で動くことさえままならなくなり、当時のことはよく覚えておらず、「死にたい」というような言葉を発していたようで、心配した妻の勧めで2018年3月に心療内科にかかりました。
医師の診察結果では「何が何でも即休職しなさい」、ということでうつ病の診断書を出してもらい、そのまま休職することになりました。
しかし、有給休暇日数も使い果たし、傷病手当をもらうにも生活して行く金額としては少なく、働かなければならない、という焦りから充分に休養も出来ず、うつ病も完治することもなく2018年5月に退職し、2018年6月より別の会社に就職しました。
システムエンジニア職はどこの会社も同じ?
次の職は絶対に同じ職種に就くまい、と思っていたのですが、ハローワークで「経験を生かした方がいいですよ」、と言われるがままに地元の同じ職種の会社に就職してしまいました。
これが間違いで、会社は変わってもこのIT関連のシステムエンジニアという職種はどこも同じ状態なんだろうなぁ、と感じました。(2つの会社しか経験していませんが)
IT関連のシステムエンジニアというと聞こえは良いですが間違いなく社畜になりますね。
うつ病再発と2度目の休職そして退職
最初の数ヶ月間は好きなプログラマー(コーディング)の仕事が出来て良かったのですが、まだ新しい会社になじめていないうちに、プロジェクトを任され(前の会社と違って協力者はいましたが……)、仕事の面でまた前の会社と同じ状況となりまた、母が入院したことも重なりついには2019年1月にうつ病が再発してしまいました。
それでもしばらくは我慢して仕事をしていたのですが、このプロジェクト開発中に母が亡くなり、法定外休暇といえども喪主だったので会社が認めている7日の慶弔休暇を全て使用することもなく出勤したのにもかかわらず、上司から「プロジェクトの納期も迫っているので、つらいだろうがもっと身を入れて仕事をしてくれ」のようなことや他にも嫌味のようなことを言われたことが重なり、前回のうつ病よりもひどい症状でした。
結局また心療内科にかかり診断書を出してもらい3月下旬頃から休職する羽目になりました。今回は再就職して1年未満のため、有給休暇日数も無いので、傷病手当を申請することになりましたが、やはり、生活して行く金額としては少ないため1ヶ月分の傷病手当を受け取り、この会社も5月に退職しました。
退職したそれぞれの会社で療養のため休職していた間は会社から誰一人として、連絡も面会もありませんでした。もっとも電話に出るつもりも面会するつもりもありませんでしたが……。
私がうつ病になったのも「自分達(会社)のせいではい」という感じが見て取れました。
そんな薄情さに憤りと嫌気がさし、このようなことも直ぐに退職しようと思った理由の一つでした。
逃げるが勝ち
私のしたことは、「仕事から逃げた」と捉えられるかもしれません。
でも全く後悔はしていません。
ネットを見ていると同じような境遇の方が多いことが分かりました。
この同じような境遇の方達に伝えたいです。
「辛くてもうどうにもならなかったら逃げてください」と……。
以前テレビドラマで『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマが放送されていましたね。
このタイトルはハンガリーのことわざだそうです。 欧米では「逃げる」ことについての格言・名言が多いそうです。
例えば「逃げた者はもう一度戦える」(デモステネス - 古代ギリシアの政治家、弁論家 / 紀元前384~322 Wikipediaより)という格言もあります。
うつ病になってまで耐えて我慢して成し遂げる必要はないと思います。
我慢して成し遂げて大きな得るものがあれば良いのですが、私はひょっとして自分の命を失い、家族を悲しませていたかも知れない、と思うと空恐ろしくなりました。
逃げるのも前向きな選択で良かったなぁ、と今では思えています。生きている限り戦い、やり直せるのだから。
大切なのは「生きる」ことで「逃げる」ことは恥ではありません。
「逃げる」ことを後向きとして捉えないで前向きに捉えましょう。
そして現在、この先
現在うつ病についてはまだ心療内科に通院し、抗うつ剤は最初の頃より量は減りましたが飲み続けています。
しかし、先日通院したら医師から「顔つきも変わったし、話しを聞くと随分良くなりましたね」と言われ更に薬の量も減り、もう少しで薬をもう飲まなくてもよくなりそうです。
現在私は家族の支えもあって生きています。日々の生活の中で面白いことがあると本当に腹の底から笑えるようになりました。引きこもりがちだった長女も明るくなり家庭の雰囲気も良くなりました。
そして現在は全く違う職種の会社に昨年6月から働き始め、半年が過ぎました。給与は下がり、隔週土曜日が出勤・休日で完全週休二日制ではなくなり休日も減りましたが、タダ働きの休日出勤があるよりマシで、今はもう本当に幸せを噛みしめています。
以前の会社と違い残業もほとんど無く、あってもきちんと残業代は支払われますし、人間関係や雰囲気も良く、ここなら何とか働いて行けそうです。
オフコンからパソコンへの過渡期を渡り歩き、結局はIT時代の成れの果てにIT関連の仕事からは身を引く結果となりましたが、今の時代はITとは切っても切れない関係なのでこれからは好きなプログラム開発を開発言語の「Python」などを仕事の傍ら勉強するなどして、別の形でITに関わっていくつもりです。
そして現在の会社を定年退職したらフリーランスのプログラマーとして70歳ぐらいまで働けたらいいなぁ、と思っています。
最後に、うつ病になって学んだこと
・不眠症や食欲不振などの症状が出たら直ぐに病院(心療内科)へ行く
・誰でもうつ(病)になる可能性がある(自分は本来楽天的な性格でうつ病になるなんて思ってもみなかった)
・大抵の会社はうつ病になった人間には薄情だし、強く訴えない限り会社としての責任を感じ(考え)ない(自分は訴える気力もありませんでした)
・会社以外の相談できる人と友好関係を築く(自分の場合は家族でした。もし妻と不仲だったらダメだったと思う)
・逃げることは恥でもないし悪でもない
仕事は生活して行く上で糧を得るために必要ですが、自分の好きなことを仕事にしてまた、夢とやりがいを持って仕事をされている方は少数だと思います。
今後は働き方改革によって「ブラック企業」と呼ばれるような会社は淘汰されるなどして減って行くと思いますが、それでも容易くまた、完全になくなったりはしないと思います。
会社から不当な仕打ちなどを受け、改善される余地もなく死ぬほどつらくなったら迷わず逃げましょう。逃げてもう一度戦いましょう。
私はIT業界で活躍する夢とやりがいを打ち砕かれ、生きる気力さえ失いかけていました。
それでも逃げることによってもう一度夢とやりがいを持てるようになりました。
母も生前、「辛かったら辞めれば良い」と言ってくれていたのを思い出し涙しています。
そして私の状況を理解し支えてくれた妻や子供には感謝してもしきれません。
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