パワハラ → うつ病 → 転職 成功するには

私はプログラマーからシステムエンジニアと足掛け約35年間、IT業界で働いておりました。
が、ブラック企業化した会社で社畜となり、ついには2018年3月にうつ病を発症しました。
その後、休職→退職→転職した10か月後にも再びうつ病を発症し、また休職→退職→転職を繰り返しました。

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早いものであれから約2年を迎えようとしています。
現在はIT関連の職種とは全く違う会社に就職しており、うつ病も完治、身心ともに回復して落ち着いた日々を過ごしております。

しかし、未だにうつ病となった原因の退職した2つの会社のことを思い出すのもイヤで、また再発するかもしれないという危機感もあります。

また、対人恐怖症にもなってしまい、しばらくは会話する人と目が合わせられない状態でした。
今はようやく目を合わせられるようになって来ました。

うつ病になると完治、回復するまで人によって、短期で回復する人もいれば長期になる人もいるようです。
私の場合は完治、回復できたのは比較的短期だったと思いますが、最初にうつ病になった会社では、最終的に退職して次の会社に就職するまでの期間が2ヶ月ちょっとでした。
この期間は今になって思うと、”短すぎたかなぁ”、と後悔しています。

あの時は、家族を養うためには、働かないとダメだ、という焦燥感がありました。そのため充分に休養することが出来ず、中途半端な身心の状態で再就職してしまいました。

心療内科の先生からも「もっと休んだ方がいいよ」、と言われていたのにも拘わらず。
だから次の職場でも1年も経たないうちに再びうつ病が発症してしまったのではないかと……。

そして最近ネットで”まさしくこの通りだった”、という記事に目が止まりました。
この記事の紹介と自分の経験・意見を述べて、私と同じ状況になっている方々の救いとなるようにお役に立てれば幸いです。

ネットで目にした記事

「上司のパワハラ→転職」成功する人と失敗する人のちょっとした違い
※この記事は、プレジデント社さんが公開していただいている「PRESIDENT Online」より紹介させていただいています。私はビジネス誌「プレジデント」を愛読しておりますが、ネットで偶然この「PRESIDENT Online」のページを見つけました。いろんな識者の方の記事が沢山公開されていて、自己啓発的にもとてもためになり、毎日閲覧しています。大変お薦めです。無料で公開していただいているプレジデント社さんに感謝です。

まさしく、うつ病を発症する前は、この目にした記事の通り下記の3つの状態でした。(リンク記事から抜粋)

①.夜眠れない、疲労の蓄積による、「エネルギーの低下」
②.仕事が立ち行かない、上司の暴言(パワハラ)等による、「自信の低下」
③.”期限に間に合うだろうか”との心配、体調不良による、「不安の拡大」

私は記事の中のAさんとは違い、やはり疲れていることを自覚できていなかったように思います。
そして先述の通り「家族を養っていかなければならない」という思いもあり、また、記事の中のBさんのようにキャリアを空けたくなかったために、恐らくうつ病が完治していない状態で次の同職種の就職先を決めてしまいました。
このため、次の就職先でも1年も経たないうちにうつ病を再発してしまったのではないかと思っております。 

最初の会社 パワハラ → うつ病

うつ病になる前の状況と原因

そもそも、最初の辞めた会社はうつ病になる前から既に辞めたいと思っていました。
それは記事にもあるように上司からのパワハラが原因でした。

当時の会社の私の仕事の関係上の上司は、社長、専務、部長の3人でした。
この3人から言葉によるパワハラを受けていたのです。
3人ともカッとなるタイプの人間で、怒ると早口でまくし立てます。

昔はそれほどでもなかったのに、特に辞める3年ほど前から顕著になりました。
3人とも会社の経営者である役員であるが故に、精神的に余裕がなくなるほどストレスを感じるうようなことがあったのかもしれません。

そのはけ口の対象が私になっていたような感じです。いわゆる、イジメの対象のような感じでした。私が強いことを言えないことをいいことに……。

もう3人の顔を見るのも嫌で、例えば朝の挨拶もそこそこにして、段々と会社の中では目も伏し目がちになって行きました。
その頃から徐々に夜眠れない日が増え、食欲も落ちて行き、気付かないうちにうつ病が進行して行ったように思います。

それに加え、忙しい時は毎日の様に夜遅くまでサービス残業。
ひとりで会社にいることなんてザラでした。
土日、祝日もサービス出勤、代休を取ろうにも取れないとういうブラック企業。

会社を辞める直前は、毎日夜は眠れずに朝方1時間ほどウトウトするぐらい、食事も少し口にするくらいでほとんど喉を通らなかった、という状況だったのは覚えていますが、正直当時の自分の精神状態、通勤、仕事の状況はあまり記憶がありません。

うつ病の診断とその後、休職 → 退職するまで


私がそんな状況・状態だったのを見かねた妻が心療内科に連れて行ってくれて、そこでようやく「うつ病」と診断された次第です。
確かその日は土曜日で会社は休みだったので、診断書を書いてもらい、その日に部長宅まで行って診断書を渡し、事情を話して月曜日から休みました。

部長には今の仕事の引継ぎをして休むように言われましたが、私は”できない”と突っぱねたと思います。(思います……というのは、当時の記憶が曖昧なもので)
そんな余裕がないほど追い込まれていたんだと思います。
それに出社すれば、またパワハラまがいのことを言われるかもしれないのに出社する気力、勇気なんてあるはずもありません。

休職し始めて一週間程は、やり残している仕事の事を思うと悶々として非常に苦しかったことを覚えています。
一週間過ぎると、開き直り感が出て来て、段々と落ち着いて来ました。
でも1ヶ月ほどは相変わらず、処方してもらった導眠剤を飲んでも夜眠れないのと、食欲が全く湧かない状態が続きました。

休職して1ヶ月過ぎても、上司3人はもとより、会社の誰からも音沙汰もなく、”俺は別に必要とされていないんだなぁ、そんなものか!?”と思い、退職することを決心して辞表を提出しました。
案の定、直属の上司である部長は、”そうか?”の一言で辞表を受け取りましたね。

ネット上に、うつ病になって休職した方が、勤めていた会社の協力の下で復職された、というような話がありますが、パワハラするような上司がいる、休職していても音沙汰のないような会社では、復職できるように、というような協力体制をする気なんてないんでしょうね。

辞表を提出したら、スッキリして精神的にも楽になって、それからは夜は導眠剤を飲むこともなく眠れるようになり、食欲も段々と湧いて来て食事が摂れる様になりました。
いかに睡眠を充分に取ること、眠れることが大切であることを実感しました。

眠れるようになり、充分に睡眠が取れると、やる気も出て来て元気になりました。
当然ながら元気になると行動する意欲も出て来るので、ハローワークへ通い、再就職活動を始めました。
もうシステムエンジニアの仕事には懲りたので、別の職種を探していたのですが、歳が50過ぎるとなかなか条件の良い職はありません。

ハローワークの担当の方に、「前職の経験を活かした方がいいですよ」と言われ、早く再就職しなければ、と焦っていたのもあり、妥協して結局地元の同種の会社に決めて面接に行ったところ、採用即決でした。(笑) 
システムエンジニアはどこもかも人手不足なんでしょうね。
「直ぐにでも来てくれ」ということで、面接を受けて1週間後に入社しました。

転職 → うつ病再発

転職して最初の頃

再就職したらしたで、結構強く不安と緊張感を感じていましたね。
今思うと、うつ病がまだ完治していなくて、身心ともにまだ不安定だったんだろうと思います。

それでも、私の入社する2ヶ月ほど前に入社した同年代の人がおり、年齢も近く、お互い家が近いこともあって話も合い、入社して数日後には安心できていました。

仕事の内容の面では、入社してまずは会社の雰囲気に慣れるようにということもあり、最初からシステムエンジニアの仕事でなく、好きなプログラミングの仕事から始められたのは良かったですね。

同僚の退職とシステムエンジニアの仕事

それから5ヶ月ほど経った頃、先述の同僚が突如として会社を辞めてしまいました。
私は彼の働きぶりを見ていましたが、入社してまだ会社の雰囲気にも慣れていないのに、少しきつそうで大変だなぁと思っていた矢先でした。

周りの社員は私より年下であまり話すこともありませんでした。
そんな中で唯一、よく話をしていた同僚が辞めてしまい、私は失意のどん底でした。

そしてついにシステムエンジニア(プロジェクト)の仕事が回って来てしまいました。
辞めた同僚とも一緒にやるはずだったのが辞めてしまったので、直属の上司である課長が補佐をしてくれる前提でしたが、結局私が得意先との打ち合わせから設計まで、ほとんど一人でやる羽目に……。

一応は経験して来ているので、打ち合わせ、設計は割と順調でした。
が、得意先の担当者が二人いたのですが、そのうちの一人がちょっとしたことで直ぐにキレて、怒りまくられるのには閉口してしまい、段々と不安、自信喪失となって来ました。

そしてプログラム作成(コーディング)もほとんどが外注のため、外注との打ち合わせや差配、そして出来上がったプログラムの単一テスト、連結テストと、仕事量は膨れ上がるばかりでした。
まだ転職した会社の雰囲気ややり方に慣れていないせいもあり、精神的にも堪えて来ましたね。

母の入院、そして死

そして極め付けは、母が誤嚥性肺炎に罹ってしまい、年末に入院してしまったことです。
母も入院し始めた頃は、充分に食事も摂れていたのですが、年明けに院内感染でO157に感染して一時危篤状態となってしまいました。

何とか一命を取り留めたものの、それから食事が摂れなくなってしまい、痩せて行く一方でした。
そんな状態でしたので、会社帰りに面会時間を過ぎているにも拘わらず、病院へ寄って行く日々が続きました。

そんな中で会社の部長と課長から言われたのが、「大変なのは分かるが、仕事の方ももうちょっと身を入れて欲しい」の一言でした。
納期が迫っているので、もちろん私自身もそんなことは承知でしたが、改めてこう言われるとショックでしたね。

この頃から、また夜眠れない、食事も喉を通らない等、うつの症状が出始めました。

そして母も誤嚥性肺炎の原因である菌が薬剤耐性菌だったようで、投薬の効果もなくついに亡くなってしまいました。

プロジェクトの納期が迫る中で、葬儀の手配等で精神的にも肉体的にも参ってしまいました。

そして運の悪いことに、この頃に私自身も「亜急性甲状腺炎」に罹ってしまい、熱が出て喉が痛い状態がずっと続いており、最悪な状態でした。
熱と喉の痛みで、ただの風邪だと思っていたのが一向に治ることなく一週間以上も続いたので、さすがに病院へ行き診てもらったところ、この病気だと判明した次第です。
幸いにも処方してもらった薬を飲んだところ、翌日からウソのようにすっかり良くなりました。

再びのうつ病へ

何やかんやで疲れ切った身体を休めたかったのですが、母の葬儀に参列していただいたお礼がてらに電話した会社の部長に、またもや「ついらいだろうが、プロジェクトの納期もせまっているので、仕事の方を……。」と言われてしまいました。

会社の就業規定で喪主の場合は、一週間の忌引き休暇が貰えるのですが、一週間まるまる休むこともなく、4日で切り上げて出社することになりました。

出社してからも、課長には「自分の父親が亡くなった時は、葬式が終わった次の日からもう出社した」、と自慢話だか知らないが、半分嫌味のような話しもされ、もう精神的に限界でしたね。
そして出社したらしたで部長に呼び出され、課長の時の話しを持ち出して再度諭されて、ショックでもうその場で涙が止まらなくなってしまいました。

もうこれで前の会社でうつ病になった時よりも深く傷つき、奈落の底へ真っ逆さまに突き落とされましたね。
その後も、母が亡くなった後の社会保険等の公的手続きのために、休暇の申請をする度に課長に嫌味を言われ、うつ病が再発するのにさほど時間は掛かりませんでした。

父と家族像

実は私は、父を自分が23歳の時に亡くしています。父は享年52歳でした。

父はタクシーの運転手でした。
朝早くから出社し、帰宅は夜遅く、休日もひと月に一日もない月があったぐらい働き詰めでした。
そのせいで肝臓を悪くし(肝硬変)、食道の動脈瘤破裂で亡くなってしまいました。

その頃は「過労死」と言う言葉はありませんでしたが、間違いなく過労死でした。
今だったら間違いなく会社を訴えられる状況でした。

父は土日、祝日はほとんど仕事で休めず、私の子供の頃は父に構ってもらった記憶がありません。
休みの日に親と一緒に出掛けている同級生を見てはうらやましい思いをしておりました。
しかし、別に父を恨んではいませんでした。
むしろ真面目に家族のために一所懸命に働いている父を誇らしげに思っていた記憶があります。

そして優しい父でした。一度も手を挙げられた記憶がありません。
父が休みの日は、普段の仕事の疲れで寝ていることが多かったのですが、その寝ている背中に乗っても怒ることもなく、優しく接していてくれた記憶があります。

私の子供の頃はこんな家庭状況だったので、将来結婚したら妻には苦労させない、子供に寂しい思いをさせない、と自分の心に誓っていたのに、そんなことをすっかり忘れていました。

が、ハッキリとこの”家族のために”という思いを認識したのが、先述の部長と課長とのやり取りです。

再びの転職へ

あれから、また夜も眠れない、食事も喉を通らない、という明らかにうつ病の再発を感じていたので、妻をはじめ家族のためにもうこの会社もシステムエンジニアという仕事も辞めようと決心しました。

また心療内科に通院し、うつ病の診断書を書いてもらい、会社の了解を得て休職に入りました。
またもや、終盤といえどもプロジェクトの途中でしたが、構わずに休職しました。

また辞めて転職するにも、かなりのエネルギーを使うことが予想されるので、できれば転職しないで休職して英気を養ってシステムエンジニアでなくプログラマーとして復職できる一縷の望みを掛けて1ヶ月休職しましたが、前の会社と同様に上司を始め他の社員からも何も音沙汰がありませんでした。

こうなったら、することはひとつ。有給休暇は入社したばかりだったのでわずかしかなく、しかも使い果たしていたため、1ヶ月分の傷病手当をもらい、そそくさと辞表を書いて提出し、当然の如く引き留めもなく、すんなりと受け取られて退職しました。チャンチャン。

転職して10ヶ月でうつ病を再発し、1ケ月の休職を経て1年未満で転職先を辞める、という慌ただしい日々を過ごしました。
無駄な日々、時間を過ごした感じに見受けられますが、回り道をしてでも”家族のために”という自分の思いを再認識できて、大変良かったと思っています。

現在の状況

現在、私が働いてる会社は、実は前の前の会社で私がシステムを担当していた会社です。

総務部長に懇意にして頂いており、社内システムエンジニアとして採用していただきました。

主にIT関連の調査やパソコンなどIT機器の設定を仕事としていますが、それも限られていますので、他に総務の仕事や施工の手伝いもしており、”何でも屋”みたいな感じです。

残業や休日出勤はほとんどありません。たまにあってもサービス残業やサービス休日出勤ではありません。ちゃんと残業手当、休日出勤手当はもらえます。

転職して給料は確かに下がりましたが、それでも残業や休日出勤が無くなった分、家庭を顧みることができて、精神的にも非常に充実した日々が送れております。

好きなプログラミングの「Python」を趣味で勉強しようと、家事手伝いやトレーニングでなかなか時間が取れませんが、徐々に少しずつですが勉強しています。

前の前の会社を辞めた時に、もう同じ職種の仕事に就かないと決心したにも拘わらず、同じ職種の会社に就職してしまったことは後悔しており、しかし、多少の回り道をした感じでも、自分の価値観で自分の進むべき考えや道がハッキリと掴めたのは良かったと思います。

今の時代、身心共に健康であれば、定年は65歳になり更に70歳になるかもしれないほど、長く働くことが可能になって、人生100年の時代が来ていると感じます。

かく言う私も、現在の会社を仮に65歳で定年退職して、その後はプログラミングを仕事として飯を食って行けたら、と画策しております。(笑) 

そのために「Python」やその他の勉強をもっと早くやらなければ、と焦っております。追い詰められた焦りではないので楽観しておりますが。(笑) 

「世界最高齢の総務部員」90歳のエクセル達人が放つ”IT嫌い”がぐうの音も出ない言葉
※この記事も、プレジデント社さんが公開していただいている「PRESIDENT Online」より紹介させていただいています。これからの人生100年時代の働き方にとても参考になる記事でした。

最後に

私は2度もプロジェクトの途中で仕事を投げ出して会社を辞めてしまいました。

うつ病になってしまったから、と言えども「逃げた」と言われても仕方がないかもしれません。

しかし、今となっては全く後悔や罪悪感は感じておりません。

よく言われるように、人生は一度きり、自分や家族の幸せを思うならば、周りが何と言おうとも、自分の正しく思う方向に進むべきだと思います。(犯罪となるような悪事はいけませんよ。)

もっと自分の心、気持ちに素直に向かい合い、”辞めたい”とか”苦しい”と感じたら、それを解決すべく直ぐにでも行動した方が良いと思います。

後手に回って、うつ病になってしまうと悪循環に陥ってしまい、なかなか抜け出せなくなってしまう可能性もありますから。

紹介致しました、プレジデント社さんの「PRESIDENT Online」の記事や私の考えや思いが現在、私と同じような状況に陥っている方々や、転職して思うような状況になっていないと感じられている方々に、少しでもお役に立てれば幸いです。

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